

「人を楽しませるためには、まず自分が楽しむ」
よくこんな言葉を耳にします。ですが、僕はこの言葉に些か疑問を感じます。果たして本当にそうでしょうか?勿論、仕事は楽しみます。しかし、自分の楽しみだけを追求するのは自己満足だと考えます。ビジネスである以上、まず顧客への貢献を最優先に考えるべきではないでしょうか?
「人を楽しませるためには、まず自分は考える」
顧客が何を求め、僕の声によってどういう成果をあげたいのかを認識する。ターゲット、訴求性、集客、認知度、売上、利益など。楽しむ前に、商いを考える。それが声の商人(あきんど)です。

「付加価値」
与えられた仕事に全力で向き合う。
しかし、僕が常々追求していることは、心地いい裏切りと意外性。価格を超越した満足度。Win-Winの関係。
番組ナレーションの原稿作成。ワンマンDJ(ミキシングをしながらのラジオDJやイベントMC)。番組ディレクターとしての企画構成力やアイデア。声優系講師としての若手育成力。営業業務に携わっていた時に培ったビジネス感覚。こういったスキルやノウハウが経費削減に繋がり、費用対効果をもたらすのだと信じています。
かかる時間とコストは必要最低限。それでいて、任せた以上の仕事を確実にこなし、予想以上の成果をあげる。これも貢献の一つではないでしょうか。

「言霊」という言葉があります。
喋り等の技術が最高級であっても人としての温かみが無ければ、言葉は相手の心に届かないし響きません。いくらデジタル技術が進んだとはいえ、僕たちが発する声はヒューマンボイスです。体の中から発せられる生々しい声なんです。そこに体温が籠っていなければ、機械が発する味気ない声と同じではないでしょうか。
人としての温かみを大切にしています。言葉に魂を込め、体温を乗せることにこだわりたいのです。そして、自分の言葉に共感して頂くよりも、共鳴して頂きたいと考えています。

「其知可及也 其愚不可及也」
(そのちやおよぶべし そのぐやおよぶべからず)
僕の好きな言葉です。
「禅林句集」という室町時代から編纂されている禅宗のバイブルがあるんですが、意味はあらかたこうです。
「お利口さんにはなれるんやけど、馬鹿にはなかなかなれへんで」
ここでの「愚」という言葉はなかなか深くてですね、いわゆる「愚か者」の「愚か」っていうのとはちぃと違うと思うんです。あの良寛さんは「大愚良寛(たいぐりょうかん)」と名乗ってましたし、親鸞上人でさえも「愚禿(ぐとく)」と自ら称したそうです。禅師自ら「愚」と名乗るのは、謙遜や卑下じゃなく戒めじゃないでしょうか。悟りを得ても智恵を得ても、それをひけらかさない、感じさせない。いますよねぇ、これと逆の人。
禅宗の修行僧ではありませんし、まして悟りを啓くこともないですが、僕はこの「愚」を日々の生活や仕事で極めたいと精進しています。

「胸臆虚明なれば、神光四発す」(言志録161条)
僕の座右の書、幕末の儒学者佐藤一斎が記した「言志四録」の一節です。
「心にわだかまりを持たんかったら、自然に精神霊光が四方に輝きよる」
この仕事は特別だと言う方がおられます。ある意味、否定はしません。でも、正直言うと僕は特別だとは思ってないんです。仕事(商売)は基本的に全て同じではないかと考えています。誠心誠意、ただひたすら真心を持って顧客に貢献することが、自分自身の深化や進化にも繋がり自ずと成長出来る。商いもまた菩薩行。とにかく、まずは目の前の事に対してベストを尽くす。結果は後からついてくるということでしょうか。また、個性と自己主張は似て非なるもの。個性(神光)は自ら出すのではなく、自ずと滲み出てくるものだとも解釈出来そうですね。
ちなみに、言志四録にはこんな言葉もあります。
「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」(言志晩録13条)
佐藤一斎は「芸能は心学」(言志耋録200条)とも説いています。


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